2013/06/14

 昨日、娘の進学する予定の中学の学校公開に行って来ました。
最初に会ったときは自分のみぞおちくらいの背丈だった二年生の娘も現在は六年生で、身長はかろうじて抜かれませんが股下は完全に同じという、旧日本人と新日本人の悲しいスケール関係となりました。



さて、東京の学校事情について地方の僕の経験からすると驚くのが、小学校も含め、狭い区域に多くの学校が存在することです。
僕の住む足立区千住地区は東西南北およそ1.5kmの正方形に収まるくらいしかありませんが、このなかになんと小学校は6校、中学は4校(私立含むと6校)があります。
東京はいくら人口密度が高いとはいえ、必然とそれぞれの学校ごと1クラス30人くらいが2~3クラス。つまり1校あたりの生徒数がすごく少ないのです。

僕の通った静岡県静岡市の小学校は(かなり大きかったと聞きますが)、東西10km南北3km程度の広い範囲が一学区で、入学当時全校生徒1800人超もいました。中学も学区が変わらないため基本的には持ち上がりで、小中まで9年間続いたにもかかわらず、結局同じ学年全員の顔は覚えていません。
一方、娘たちは全学年どころか卒業生とも馴染みで、誰それがどこの学校の何部に入りどんな活動成果を出した、などにも精通。
住民や子供同士の情報の行き来は東京は希薄だと思ってたのですが、このへんは完全に逆ですね。

前置きが長くなりましたが、そういう事情で中学の部活動は非常に種類が少なく、夫婦ともども娘をぜひ入れたいと期待していた陸上部が存在しませんでした。
運動部だと、バスケ、バレーあるいは新体操。個人競技で向上心を養いたいと思ってたのに…。(そして一緒に走りたかったのに)

ただ、今回見学したのは学区域(狭い千住内でも一応学校ごとの学区がある)内の中学で、条件を満たせば近隣の他の学区域の中学にも進学できるという措置もあります。
そのため娘たち金管バンドの子どもたちは卒業した先輩からそれぞれの中学への誘いが来ているようです。

中学から子供が自分で学校を選べるというのは少し羨ましいですが、あまりに学校ごとがこじんまりしていて、小学校がまるで巨大な迷宮に感じたあの頃を知る僕からすると、やや寂しい印象です。

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